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Edge2 今を、いきる。
第25回 フルクサスと 塩見允枝子の今 〜前衛であること〜
放送日:1月14日(土) 深夜0:00〜0:30
出演:塩見允枝子(前衛芸術家)
演出:狩野喜彦
制作:テレコムスタッフ
塩見允枝子、前衛芸術運動「フルクサス」の日本における代表的アーティストである。
1950年代の終わり頃、反体制的な芸術活動は互いにその存在を知ることなく、世界のさまざまな場所で起きていた。塩見もまた東京芸大在学中より実験的音楽活動を開始し、やがて《エンドレス・ボックス》で「フルクサス」と出会い、運命の糸にたぐり寄せられるようにニューヨークへ渡航し、ナム・ジュン・パイクやジョナス・メカスといったアーティストと交流する。
「フルクサス」とは60年代ニューヨークを中心に、リトアニア出身のデザイナー、ジョージ・マチューナスのもとに集った、多国籍、多ジャンルのアーティストたちによる前衛芸術運動である。彼等はハイアートに対抗し、アートと日常の壁を越え、「流れる」(=フルクサス)ことを標榜した。
塩見の表現活動は音楽だけに留まらず、視覚詩、イヴェント、パフォーマンスなど、時代の流れを取り込みながら多様に展開してきた。
40年間に渡るその活動の軌跡をたどりながら、「前衛」とは「芸術」とはどういうことかを問う。
『前衛であること』
「フルクサスは確かに、60年代は前衛でした。前衛というのは矢面に立って、一番先頭に立って進む人たちのことですよね。芸術の場合は矢面に立つといいましてもそれは実は過去なんですね。過去であり現在の体制なんですね。未来はまだないわけですから。そうした過去なり現在の体制に対して、これは何かおかしいぞ、という人間の本能的な勘ですね。このままではいけない、という一種の危機感を感じるわけですね。で、それをどうするかというと、やはり壊すわけです。壊して全然違うものをはじめるわけですね。ですから、そういう意味ではフルクサスは明らかに前衛でした。私たちも前衛という意識はありましたし、前衛音楽という言葉を好んで使っていました。ですけど、そういう前衛が成り立つ時っていうのは、はっきりしたそういう、蹴って飛び上がる地盤といいますか、打ち壊すべき大きな壁があるときなんですね。ですけど今はフルクサスは前衛とは決して言えません。今はすっかり変わった形の前衛があるんじゃないかと思うんですね。というのは今の現代社会の体制というのは当時の体制とはすっかり違うわけですから」
1960年代に、ニューヨークで起こった前衛芸術運動「フルクサス」の日本における代表的アーティストである塩見允枝子さんは、我々のカメラの前でそう語った。21世紀も4年が過ぎ、ますます混迷する現代社会においては、もはや『前衛/アヴァンギャルド』という言葉さえ色褪せて、無意味なものになってしまったのだろうか…
いや、彼女の40年に渡る芸術活動と、そこに脈打つフルクサスの精神に触れた時、そんなことは、決して無いことに気付く。
「今、フルクサスは前衛ではない」ときっぱりと言える彼女の姿勢にこそ、『前衛』が息づいているのだ。
立つべき基盤さえ不確かな今日、もう一度『前衛/アヴァンギャルド』の意味をとらえ直す時、そこに打ち壊すべき、壁が、体制が、浮かび上がってくるのではないだろうか。そして、それこそが、若い世代のデューティなのではないだろうか…。
番組から、そんなことを感じていただけたら制作者として幸いである。

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