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LIVE! Edge
Edge 2 今を、いきる。
第30回
「再び喝采の中へ 〜ツルノリヒロとヴァイオリンが響きあうとき〜」
放送日:2006年12月16日
出演:ツルノリヒロ(ヴァイオリニスト)
演出:狩野喜彦
制作:テレコムスタッフ
16世紀北イタリアを起源とするヴァイオリン。擦弦楽器の中でも、最も高音域であるこの楽器の音色に魅せられた、一人の男がいる。ヴァイオリニスト、ツルノリヒロ。
1989年に「月をつくった男」でデビューし、ニューエイジミュージックの一方の雄として人気を博すとともに、数多くのミュージシャンのための作曲・プロデュース活動を行なって来た。そのツルは2006年、10年以上の沈黙を破って、ソロ演奏活動を開始した。
自身にとって「声以上の声」となったヴァイオリンとともに、生み出した楽曲に生命を吹き込むかのように、ツルは今、自分自身のための音楽を奏でながら、再び喝采の中に立とうとしている。
『moderato cantabile/モデラート・カンタービレ』
『モデラート・カンタービレ/中くらいの速さで、歌うように』
ツルノリヒロがヴァイオリンで奏でる音楽を聴いていると、ふとそんな音楽用語が浮かんでくる。実際に彼の楽譜にそう書かれているわけではないが、心地良いテンポで進む彼の音楽は、あたかも歌のように胸に沁み、記憶を揺さぶる。そして知らず知らずのうちに、いつか見たであろう情景の中に漂う自分に気付く。
「ニューエイジミュージック」なるジャンルが音楽界に登場したのは、1980年代前半のことだった。クラシック音楽の基礎を学んだ音楽家たちが、それぞれ学んで来たヴァイオリン、チェロ、ピアノ、オーボエといった本来クラシック音楽で使用される楽器を使い、自ら作曲した曲を演奏する。「新しい世代による、ジャンルを超えた音楽」という意味だった。幼い頃からヴァイオリンを学んで来たツルノリヒロも、そんな音楽家の一人として、我々の前に姿を現した。しかし、ツルノリヒロが他の音楽家と異なるのは、彼らのほとんどが、音楽大学で学び、ある年齢まではクラシック音楽の演奏家になることを目指していたのに対し、中学までは音楽界の名門桐朋学園で学びながらも、名曲と言われる楽曲を忠実に演奏することに見切りをつけ、自らの心象を音楽に託すことに重きを置き、都立高校に進学したことだ。感受性豊かなこの年代に、クラシック音楽を離れ、ロック・ミュージックの洗礼を受けたツルは、アイドル歌手のバックでヴァイオリンを弾く傍ら、ロックバンドを結成し、ヴァイオリン以外にギター、ベース、キーボード、果てはドラムにいたるまで様々な楽器の演奏テクニックを身につけ、ポピュラー音楽界では、知る人ぞ知る存在になっていた。言ってみれば、ツルはクラシック音楽崩れのポピュラー音楽家ではなく、純粋培養のポピュラー音楽家だったのである。しかし、1989年のデビュー以来3枚のソロアルバムを発表後、その器用さ故か、どちらかというと作曲、編曲、プロデュースといった裏方に回ることが多く、1000曲近い楽曲を残しながらも、表に立つことは少なかった。そんなツルが、50歳という人生の節目を目前に、自らの内面にそのヴェクトルを向けたとき、彼の前には、これまで作って来た楽曲と、その音楽のルーツともなったヴァイオリンがあった。
スポットの中に立ったツルが、愛用のヴァイオリンを奏でる。音符に色彩が与えられ、旋律が歌に変る。ツルノリヒロの心の中に広がる情景と、聴くものの記憶に積み重ねられた情景がオーバーラップして行く。そこには、クラシック音楽、ポピュラー音楽といったジャンルは存在しない。音楽があるだけだ。
考えてみれば、ヴァイオリンが生まれた16世紀以来、音楽とはそいうものだったはずだ。今はクラシックと呼ばれる音楽の作曲家たち、モーツァルトもヴェートーベンも、ブラームスも、マーラーも、自分の内面にヴェクトルを向け、自らの心象を旋律に託したのだ。
今、ツルノリヒロは再び喝采の中にいる。
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