Edge 今を、いきる。 第35回
「東直子 〜せつない、いとおしい、喪失感のモノガタリ〜」
放送日:2010年4月11日(日) 22:00 〜 22:30
出演:東 直子(歌人)
演出:田島櫻子
制作:テレコムスタッフ
音楽のようにやわらかな言葉で、人間存在の根底をみつめる歌人、東直子。
今、彼女の比類ない才能に注目が集まっている。20年前、育児の傍ら、雑誌に短歌や詩、童話の投稿をはじめ、1996年、33歳の時、歌集『草かんむりの訪問者』で、歌壇賞を受賞。歌人としてデビューする。主婦として、リアルな生活者の視点をもちながら、彼女の紡ぐ短歌は、どこまでも限りなくアンチリアル。その想像以上のアンチリアルな世界は、読者に壮大な物語を予感させる。主婦から歌人へ、リアルからアンチリアルへ。 静かに渦巻く三十一文字に凝縮された、東直子の世界に迫る。
「セツナサ の ゆくえ」
『人間は、いつになったら、寂しいといって泣かなくなるのだろう?』
何の映画か忘れましたが、ある映画の中のコトバです。
私は、東さんにインタビューしながら、何度もこのコトバを思い出しました。
番組をつくりながら、こんなに、“セツナイ”気持ちになったのは、はじめてかもしれません。
“そうですかきれいでしたか
わたくしは小鳥を売ってくらしています”
私の拙い短歌へのイメージを、大きく覆してくれた、東さんの短歌。
例えば、短歌を女性にたとえると、
「あたしって今こんななの、ねえ、聞いて、すごくあたしって・・・でしょ!?」
自分の感情をぎゅぎゅうおしつけてくる、押しが強くて、粘っこい、そんなイメージがありました。
対する東さんの歌は、“低体温”で、“やせ形”で、“はかなくて、アンチリアル”。
ご本人にお会いしたら、やはり、歌の印象とたがわず、どこか不思議な雰囲気の女性でした。
取材しながら、一緒に歩いて、話して、笑って、ぐっと近づいたように感じた瞬間でも、
東さんは、まだずっと遠くにいるような、そんな感じがありました。
“同級生がひとりでお茶を飲んでいた
被爆したあなたかもしれない”
これは、ひそかに私が一番好きな歌です。
こんなに淡々とした語り口で、こんなにフラクタルな世界が綴られてしまう奇跡。
東さんの感情は、ほとばしることなく、ただかすかに、すっーと流れているだけ。
この感情表現のおくゆかしさに、キュンときました。
ウサギとクマは、東さんの存在のふしぎさと、作品のアンチリアルな世界の、メタファーとして、登場させました。
ウサギとクマと並んでも、違和感がない東さん。
まるで物語の住人のような東さんの、その存在の仕方は、やはり奇跡としか呼びようがありません。それは、東さんが常人離れ、世離れしているからでしょうか?
いえいえ、そうではありません。
郊外に暮らしながら、毎日、家族のために4品も5品もおかずをつくるという、正しい生活をしているのですから。
私は、東さんの短歌に出会い、
自分が今まで感じたことのない次元の“セツナサ”を知りました。
“廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て”
滅びゆく世界を思いながら、
突然、本能的に発せられた、“来て” の言葉。
言葉以前の愛を失ったわたしたちに、神が課した、言葉で伝える、という使命・・・
東さんは、その使命を課せられた、選ばれた人なのだと思います。
誤解を恐れずに言えば、彼女のアンチリアルな存在感は、
空虚さの果てににじみでているものなのではないかと思います。
空虚だからこそ、言葉が降ってくる。
東さんは、器そのものになってしまえる人なのです。
どんな経験を経ても、どんな幸せを獲得しても、けっして埋まることはないと語った、
東さんの壮絶な孤独感と喪失感、寂しさ・・・。
“生きているって、切ない”
インタビューがおわりかけたとき、
東さんは、ふと笑いながらそう言いました。
ちょうど10歳年下のわたしは、
結婚も出産も経験せず、彼女の語る喪失感やセツナサを、
うっすら予感しながらも、知らないふりをして、今を、生きています。
でも、ちかいうち、私も、喪失することを恐れず、一歩進める人になりたいとおもいます。
セツナサのゆくえを見つめながら・・・。
最後に、番組でとりあげなかった、大好きな東さんの歌があります。
“いつも会いに来て下さいな通るたびそこだけきしむ長い長い廊下”
昼下がり、冷たいコンクリの校舎を結ぶ、真っ白い長い長い廊下の奥に、
一人たたずむ、東さんの姿が浮かびます。
お元気でいてください。
夏になったら、大好きだというお豆腐を、一緒に食べたいです。
ひややっこなど、いかがでしょうか?
ディレクター
田島櫻子
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